今回は移動体の3Gで使用されていたバックホール(基地局とコアネットワークを繋ぐ伝送路)のお話です。
現在、基地局バックホールの伝送能力は10Gbpsが主流となっていますが、3G時代のバックホールは最大でも約6Mbps程度でした。
今の感覚では信じられない低速さですが、当時はこれでも十分だったのです。
3Gのバックホールは最大6Mbpsをチャネル分割して活用していた
3G(W-CDMA/FOMAなど)の黎明期、基地局のバックホール回線にはT1回線と呼ばれる1本あたり1.5Mbpsのデジタル回線が主に使われていました。
必要な帯域に応じてT1回線を複数本束ねて使用し、最大で4本(約6Mbps)まで増やすことで容量を確保していたのです。
例えば、T1回線を4本まとめて多重化した「T2」規格では全体で6.312Mbps(実効6.144Mbps)の通信容量となり、これが3Gバックホールの上限帯域でした。
6Mbps程度のバックホールというのは、10Gbpsやそれ以上が当たり前の現在からすると桁違いに小さいですが、当時の3G通信ではそれで事足りていたのです。
とはいえ、3Gサービスが本格化しユーザーのデータ利用が増えるにつれ、バックホール容量の制約は徐々に問題になっていきました。
3G後期には、1基地局あたりT1を2本~4本追加するケースもあり、バックホール増強が大きな課題になっていたのです。
後述するように、これが次世代のバックホール技術への転換点にもなりました。
T1とは1.5Mbpsの帯域を1スパンとした3Gで活躍したレガシー回線
そもそもT1回線とは、約1.5Mbpsのデータ通信が可能なデジタル回線サービスです。
24チャネル(1チャネル=64kbps)のデジタル信号を一本化して多重化しており、合計1.544Mbps(実効1.536Mbps)の帯域を持ちます。
1フレームあたり24チャネル、つまり24個のタイムスロットで構成されており、このタイムスロットごとに音声やデータの信号を載せて同時伝送できるのが特徴でした。
T1は北米や日本で普及した規格で、欧州で一般的だったE1(2.048Mbps/30チャネル)とは姉妹関係にあります。
3G時代、このT1回線が基地局バックホールの屋台骨として大活躍しました。
音声通話やデータ通信を時分割多重(TDM)でまとめて運べるため、一本の回線で複数の通話・通信を処理できました。
当時は企業の専用線やインターネット常時接続回線としてもT1が広く使われており、まさに大容量回線の代名詞でもありました。
3G基地局向けには、この1.5M回線を必要に応じ何本か束ねて使うことでバックホール容量を増やす設計になっていたわけです。
音声・データで完全にチャネルを分離
3Gネットワークでは、音声通話サービス(回線交換網)とデータ通信サービス(パケット網)が別々に存在していました。
そのため基地局と上位装置を結ぶバックホール回線でも、音声用チャネルとデータ用チャネルを分離して運用する方式が取られていました。
具体的には、T1回線のタイムスロットや本数を用途ごとに分けていたのです。
音声向けのチャネルでは24タイムスロットをフル活用
音声通話向けには、T1回線1本(24チャネル分)を丸ごと音声用に充てる構成が一般的でした。
各通話は64kbpsのチャネル(DS0)を占有しますので、1本のT1回線で最大24通話分の音声を同時に送ることができます。
実際の3G音声コーデックは圧縮されていましたが、基地局と交換機の間ではこのように従来型の64kbps音声チャネルとして扱われました。
24チャネルすべてを音声通話にフルに使えば、1回線で24人分の通話を同時に伝送でき、当時としては十分な容量だったのです。
データ向けには3スパン分の帯域を利用することが多かった
一方、パケットデータ通信向けには複数本のT1回線を束ねた帯域がよく使われました。
典型的な例としては、3本分のT1、つまり約4.5Mbpsの帯域をデータ用に確保する構成が多かったように思います。
高速化する3Gデータ通信に対応するには、1本(1.5Mbps)では足りず複数本をまとめる必要があったためです。
T1を3本まとめれば実効で約4.6Mbpsとなり、HSDPAの通信もある程度余裕を持って収容できました。
結果として、音声用1本+データ用3本=計4本(約6Mbps)という構成が3Gバックホールの標準的な姿となったわけです。
当時の調査でも「3Gサービス展開により、1基地局あたり2~4本のT1/E1回線増設が必要になった」とされ、バックホールのために膨大な数の専用回線を敷設する事態となっていました
NTTのDA1500やDA6000、HSDといった専用線サービス
こうしたバックホール回線には、日本国内ではNTT東西が提供していたデジタル専用線サービスが活用されることが多かったです。
具体的にはDA1500やDA6000、あるいは高速デジタル伝送サービスHSDといったメニューが該当します。
DA1500は最大1.5Mbps、DA6000は最大6Mbpsまでの通信が可能な専用線サービスで、主に光ファイバー回線で提供されました。
基地局の設置場所から最寄りの収容局までをこの専用線で繋ぎ、その先で通信網に接続する形態です。
1990年代後半~2000年代前半には高速なVPNや光回線サービスが普及する前段階として、比較的安価に近距離拠点間を結ぶ用途でデジタルアクセス系の専用線がよく使われており、3G時代のバックホールにはうってつけの存在でした。
基地局側の設備を見ると、当時はキュービクル(屋外収容箱)自体も大きく、内部にONUやDSU、MPTA、メディコンなど多くの伝送装置が収められていました。
3G基地局には多数の箱モノ機器が所狭しと並んでおり、音声用・データ用に分かれた複数のT1回線を捌くための工夫が凝らされていたのです。
電源装置や環境監視装置も含め、当時の基地局設備はかなり大掛かりでした。
一方、収容局側(交換局側)の設備には、かつて存在したNortel Networks(ノーテル)社製の伝送装置が多く使われていたように感じます。
ノーテルはカナダの大手通信機器メーカーで、デジタル交換機や光伝送装置などで世界的シェアを持っていました。
しかし経営悪化の末、2009年にチャプター11(日本でいう会社更生法)の適用を申請して事実上破綻してしまいます。
負債総額38億ドルというカナダ史上最大の倒産劇であり、3G全盛期を支えた機器ベンダーもまた時代の流れに消えていきました。
128kbpsを束ねて使用する場合もあった
場所によっては、光ファイバー回線が引き込めず1.5Mbpsの専用線を直接利用できないケースもありました。
そのような場合に128kbps級のデジタル回線を複数束ねて、疑似的に1.5Mbpsに近い回線を構成することもありました。
例えばNTTのメタル系デジタル専用線「DA128」(128kbps)を複数本利用し、マルチリンク技術で同時通信することで帯域を底上げする方法です。
実際、マルチリンクPPPなどを用いればISDN回線のBチャネル(64kbps)を最大23本まで束ねて約1.5Mbps(1472kbps)のデータ通信用回線を構成できる機器も存在しました。
このような「バルク伝送」はあくまで特殊なケースではありますが、基地局収容において柔軟に帯域を確保する工夫の一つだったといえます。
当時の通信エンジニアたちは、限られた回線資源をやりくりしてサービスエリアを維持していたのです。
4Gの時代に入り基地局にはL2SWが導入され終焉を迎える
振り返れば、T1回線は3G時代の屋台骨としてモバイルネットワークを下支えしました。
最大6Mbpsという限られた帯域でありながら、日本中に張り巡らされた専用線網と巧みな多重化技術によって、私たちは初期のモバイルインターネットやクリアな音声通話を享受できていたのです。
その陰には、限られたリソースを効率的に組み合わせて使いこなした先人エンジニアたちの知恵と努力がありました。
現在、私たちは高速大容量の通信を当たり前のものとしています。
しかし、古のT1回線が果たした役割とその終焉の物語は、技術の進歩と世代交代のダイナミズムを物語っています。
あの頃を知る技術者にとっては少しノスタルジックであり、一般の方にとっては通信インフラの歴史をひも解く1ページでしょう。
3G時代のバックホールを支えたT1回線の栄光と終焉を語ることで、現代の通信網がどれほど先人の積み重ねの上に成り立っているかを改めて実感します。
コメントを投稿する