私たちは今、「どこにいてもつながる」世界の入り口に立っています。
宇宙を舞台にした二つの通信アプローチ、衛星バックホールと衛星直接通信(Direct-to-Device)こそが、そのカギを握る存在です。
それぞれ同じ衛星を利用する点は共通ですが、その役割と可能性は大きく異なります。
一方は地上のネットワークを「宇宙へ延伸」するアプローチ、もう一方は人やモノの端末が「宇宙と直接つながる」アプローチです。
それぞれが描く未来像を詳しく見ていきましょう。
衛星バックホールとは?
衛星バックホールとは、遠隔地の携帯基地局や通信拠点を衛星経由でコアネットワークに接続する仕組みです。
たとえば離島や山間部のように光ファイバーを引くには莫大なコストや時間がかかる地域でも、現地に基地局を設置してそのバックホールに衛星リンクを使えば、一瞬で「未接続」が「つながる」に変わります。
実際、1990年代の2G時代から衛星によるバックホールは田舎や山岳地域など地上インフラが届かない場所で活用されてきました。
従来は主に静止軌道(GEO)衛星が担ってきた役割ですが、近年は低軌道(LEO)衛星コンステレーションの登場で性能が飛躍的に向上しています。
たとえばOneWebやStarlinkなどLEO衛星を使えば、GEO衛星より遅延が大幅に短くなり(数百kmの低軌道では通信遅延は数十ミリ秒程度)、実用上ほとんど地上回線と変わらない応答速度が得られます。
実際、低軌道のStarlink衛星は20ms未満という低遅延で通信でき、高スループットも実現しています。
一方、36,000km上空のGEO衛星では往復通信に数百ミリ秒(約0.5秒)を要するためリアルタイム性で劣ります。
それでも災害時の緊急バックアップなどにはGEO衛星も心強い存在です。
衛星バックホールはまさに地上通信インフラを宇宙に伸ばす「延長コード」のような役割を果たし、地上網を補完して人々の生活圏に通信の橋を架けてきました。
衛星直接通信とは?
一方の衛星直接通信(Satellite Direct-to-Device)は、従来の基地局を介さずスマートフォンやIoT機器が直接衛星と通信する大胆なアプローチです。
山岳地帯で遭難した人がiPhoneからSOSメッセージを空に送信する、農地に設置した小さな土壌センサーが上空の衛星へデータを投げる、洋上の船員が手持ちのスマホで衛星経由のメッセージをやり取りする。これらはすべて衛星直接通信が描く未来の姿です。
近年の技術進歩により、「衛星電話のような特殊端末でなくても」普通のスマホが衛星と直接つながることが現実味を帯びてきました。
現在すでに、AppleのiPhone 14では衛星経由の緊急SOS機能が提供されており、セルラー圏外でも衛星を介して位置情報やメッセージを救助機関に送信できます。
またAST SpaceMobile社は人工衛星上の携帯基地局(BlueWalker衛星)を使って、一般のスマホによる世界初の衛星直接通話やビデオ通話の実証に成功しました。
2025年には衛星経由で日常の音声・データ通信を行うサービスの開始されており(au Starlink Direct)、地球上のほぼあらゆる場所でスマホが圏外を気にせず使える時代が目前です。
衛星直接通信では端末側に特別な巨大アンテナや高出力送信機は不要です。低軌道衛星が地上数百kmという近距離を高速で周回することで、スマホのような小さな端末でも届く微弱な電波を受信できます。
また衛星側の大型フェーズドアレイアンテナとビームフォーミング技術によってスポットビーム(衛星セル)を細かく地表に割り当て、限られた周波数資源で効率的にリンクを確立しています。
極端に言えば、空そのものが巨大な基地局アンテナになり、地球全体を覆う一つの無限のセルのように振る舞うイメージです。
衛星直接通信は、これまで「無線圏外」だった空白地帯を埋め尽くす細い毛細血管のネットワークと言えるでしょう。
衛星バックホールと衛星直接通信の技術的な違い
遅延(レイテンシ)
衛星バックホール:LEO衛星を利用する場合は100ms前後の低遅延を実現可能。
衛星直接通信:端末と衛星のリンクが環境(建物・天候・位置)に左右されやすく、遅延は揺らぎやすい。
帯域幅
バックホール:Gbps級の大容量リンクを提供、複数ユーザーや基地局トラフィックに適する。
直接通信:数kbps〜Mbps程度にとどまり、現状ではメッセージングやIoT用途が中心。
地上設備
バックホール:大口径アンテナやゲートウェイ局が必須。
直接通信:端末と衛星があれば成立し、基地局不要。
端末仕様
バックホール:高出力・大型アンテナを利用。
直接通信:省電力のスマホや小型IoTでも成立。
こうして整理すると、バックホールは「大量のデータを運ぶ動脈」、直接通信は「末端を支える毛細血管」という関係性になります。
ユースケースの具体例
災害時
衛星バックホール:仮設基地局を衛星経由で全国の通信網に接続し、地域全体を復旧。
衛星直接通信:圏外になった被災者のスマホから直接SOSを送信。
農村・山間部
バックホール:村や学校を衛星リンクでブロードバンド化。
直接通信:農地センサーから土壌データを直接収集。
船舶・航空
バックホール:船舶や航空機内にWi-Fiを提供。
直接通信:乗客が個人スマホから緊急通報。
IoT
バックホール:大量のデバイスを基地局経由で集約。
直接通信:小型デバイスが単独で衛星と直結。
両者は競合ではなく補完関係にあり、「社会全体を支えるバックボーン」と「個々を救うラストワンマイル」を担います。
5G/6Gにおける位置づけと標準化
5G NTN(Non-Terrestrial Network)
3GPP Release-17で「非地上系ネットワーク(NTN)」が規格化され、バックホールと直接通信の両方を包含しています。
Starlinkはすでにバックホール用途でMNOと提携し、AST SpaceMobileやLynkは直接通信の実証を進めています。
6G時代
「空・海・地・宇宙のシームレス統合」がテーマに掲げられ、バックホールが大容量接続を支え、直接通信が末端を埋め尽くす。
その両立で「圏外ゼロ」の世界が目指されます。ITUや3GPPでは6G標準化の議論が進行中で、日本のNTTドコモやKDDIも研究を加速しています。
代表的なプロジェクト・企業紹介
- Starlink(SpaceX):世界最大のLEO衛星網。家庭向けやバックホール、船舶・航空分野でも展開。
- OneWeb:欧州・インド中心に展開、特にバックホール用途を重視。
- AST SpaceMobile:BlueWalker衛星でスマホ直接通信を実証。AT&TやVodafoneと提携。
- Lynk Global:スマホで衛星SMSを送信可能にし、すでに商用化を開始。
- 日本の動き:KDDIがStarlinkと提携、ドコモは6G直結通信の研究を推進。
まとめと未来展望
- 衛星バックホール:地上網を補完する「大動脈」
- 衛星直接通信:人やIoTを結ぶ「毛細血管」
両者は相互補完によって「どこでもつながる世界」を実現していきます。5Gの標準化を経て、6G時代には「空・海・地・宇宙の完全統合ネットワーク」が現実のものとなるでしょう。
その先に広がるのは「もう圏外は存在しない」社会。都市も僻地も海上も、すべてが同じネットワークの呼吸を共有する未来が静かに準備されています。



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